電話応対でCS向上コラム

第141回「伝わり難くなった日本語」

記事ID:C10167

「言葉は伝わることが大事。伝わってこそ言葉です」。長くそう言い続けてきました。ところが、その日本語が、最近とみに伝わり難くなったのです。話し言葉にも書き言葉にもそれを感じます。伝わり難くなった原因はどこにあるのでしょうか。

トリセツに見る話し言葉

 平成から令和にかけて、科学技術の急速な進歩は、社会のIT化を加速させ、私たちの暮らしを変えました。新商品が次々と登場し、トリセツというカタカナ文字に変わった取扱説明書を読む機会が多くなりました。このトリセツを理解するのが、どうも私は苦手です。そのトリセツも、平成までは紙に書かれた説明書でしたが、今はほとんどがペーパーレスになり、本体に内蔵されています。文章も専門語やカタカナ語が多い上に、文章の組み立ても分かり難いものが多いのです。トリセツを理解するためのトリセツが必要だ、などとぼやいています。
 ところで古い話になりますが、平成の初期、当時日本語センターにいた私どものところに、ワープロの開発を手がけていたさる大手の電機メーカーから、取扱説明書を作るのでその文章を添削してほしいという依頼がありまして、担当者が作った原稿を見ました。中にこんな言葉がありました。「ダブルクリックしてください」。今なら誰でも分かる指示ですが、当時は初めて聞く言葉です。これでは分かりませんよと指摘しました。担当者はただちに、「カチカチと2回押してください」ではどうでしょう、と直しました。そんな初歩的なレベルのやり取りをしたことを、懐かしく思い出します。どう書けばユーザーに分かってもらえるかを、担当者たちは必死で探っていた時代です。

経験を語れば言葉は生き生きする

 トリセツを例に書きましたが、分かり難さはトリセツに限ったことではありません。話し言葉も書き言葉も、明らかに高度化(?)して理解し難くなっているのです。
 かつて言葉は、経験を経てそれを語ることが主でした。新商品の開発者たちは、それをどう魅力的で分かりやすい言葉にするかに、知恵を絞った筈です。
 平成から令和に進み、今ネット社会、AI時代に生きる私たちは、膨大な量の情報や知識を簡単に手にすることができるようになりました。そして、その情報や知識を言葉にして伝える時に、言葉を安易で無機質な、伝達だけのツールにしてしまったように思えるのです。
 私たちは、自分が経験したことを語る時に、その言葉は生き生きと聴き手に伝わります。どこが違うのでしょうか。その違いは言葉の持つ語感にあります。脚本家の山田 太一さんの言葉を借りれば、言葉の半分は意味内容を伝えますが、あとの半分は声が心を伝えるのです。音楽もそうです。感動の半分はメロディーにありますが、半分は歌詞にあります。その歌詞を表現する歌手の歌唱力にあります。語感を意識した表現が、非常に大事になってきます。

安心して聴けない話し言葉

 ひと昔前を考えますと、話し言葉は、伝えようという意味内容や心の動き、聴きたい情報などが、心地よく耳に入ってきたものです。そこには何の抵抗感もなく時が流れます。ラジオやテレビから、素敵な会話や対話、トークが聴こえてきます。かつては、そうした心が落ち着く至福の時があったのですが、近頃はめっきり少なくなりました。生成AIの異常とも言える進歩の前に、本来なら人間が努力しなければならない言葉の表現を、どうやら手抜きしているように思えます。気になる話し癖が耳について、大事な話や、面白いトークがあっても集中できないのです。視聴を妨げる大きな要因が、蔓延する話し癖です。中でも、ますます勢力を広げているのが、~でーす。~それでー。私思うんですけどー。といった語尾伸ばしです。程度の差はありますが、子どもから高齢者まで、その話し癖は広がっています。おそらく90%は感染しているでしょう。

雑になった言葉づかい。ここから会話が消える

 テレビに登場するアナウンサーやタレントたちの話す言葉が、驚くほど雑になっていることを嘆かわしく思います。以下は最近の放送で聴く気がしなくなった雑な言葉の一例です。
 展示室を案内してもらいます、教えてくれるのは、〇〇に行ったことありますか、△△のこと知ってますか、××で何を食べたんですかチョーでかい奴すげえ良かったうめえ

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

関連記事

入会のご案内

電話応対教育とICT活用推進による、
社内の人材育成や生産性の向上に貢献致します。

ご入会のお申込みはこちら