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心理的安全性と人的資本経営記事ID:C10165
「人的資本経営」という言葉が広がっています。しかし語られるのは開示の方法ばかりで、人的資本そのものが何か、どう育てるかは置き去りになっていないでしょうか。今回はその本質と土壌を考えます。
開示から「本質」の人的資本経営へ
2023年3月期から、上場企業の有価証券報告書で人的資本の開示が義務づけられました。背景には、この数年で世界的に進んだ「人への投資」を重視する潮流があります。呼応するように、社内で従業員満足度やエンゲージメント調査を始めたり、開示に向けたデータ整備を進めたりする企業が増えています。
しかし今、議論の中心になっているのは「どの指標を、どの様式で開示するか」という開示の方法論です。本来問うべきは「そもそも人的資本とは何か」「それをどう育てるのか」という本筋ではないでしょうか。これは上場企業だけの話ではありません。中堅企業にあっても、採用や定着、一人ひとりの力を引き出す経営は待ったなしです。
そもそも人的資本とは何か
OECDでは、人的資本について「しあわせ(ウェルビーイング)の創出に寄与する、個々人に備わった知識・技能・能力」と定義しています。実はウェルビーイングにまで関連するんですね。1992年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のベッカー教授も、人的資本を「個々人の知識と技能の総和」と表現しました。
要するに、一人ひとりの能力そのものが人的資本です。もともとベッカー教授の専門領域では、人的資本は国家が国民の教育に投資する文脈で論じられてきました。その観察の対象となったのが実は戦後成長を遂げた日本、そしてアジアでした。地下資源の埋蔵量ではなく教育水準が国の力になるという着想を、実は私たちから得たんですね。
もちろん、この人的資本は国のためだけのものではありません。私たちは自身や家族に教育投資をしますよね。つまり、個人が投資主体としての人的資本投資は、これまでも広く行われてきたと言えます。そして今、企業が投資する主体として注目されています。その背景にあるのは、企業価値を生み出す源泉が、工場や設備といった有形の資産から、個々人の知識や技能、すなわち人的資本へと変化しつつあるということです。
心理的安全性は、人的資本を育む「土壌」
【図:心理的安全性と人的資本の関係】
では、どうすれば人的資本を高め、それを企業価値につなげられるのか。心理的安全性は、人的資本を高めることに、大きく寄与します(図参照)。
まず、少なくとも人的資本を維持するには、離職=人的資本の外部流出を避けねばなりません。筆者らが日本企業の約1万人を2年間追跡した研究では、心理的安全性の高いチームほど離職が少ないという結果が出ています。しかも若手ほどその感度が高く、心理的安全性の低さは若手の離職リスクと直結します。加えて、心理的安全性の高い組織・チームではメンバーが当事者意識を持って仕事に向き合い、学び直しが進み、チームでの学習が増え、より良いやり方を試そうという挑戦が生まれやすい。平たく言えば、心理的安全性は人的資本そのものを高めます。
さらに、せっかく優れた人材が揃っても、企業活動は教育機関とは異なりますから、従業員の成長そのものは目的ではありません。優れた人材が力を合わせて成果を出す、その土壌が心理的安全性です。いわば、図のように心理的安全性は人的資本を高めるという観点でも、そして、せっかく高まった人的資本を成果、ひいては企業価値につなげるという観点でも、重要なんですね。
人的資本経営の本丸は、開示の様式ではなく、その前提となる土台づくりです。今日のチーム運営の中に、人を育てる一歩があります。
株式会社ZENTech 代表取締役。一般社団法人日本認知科学研究所 理事。武蔵野大学 しあわせ研究所 研究員。東京大学工学部卒。シンガポール国立大学 経営学修士(MBA)。神戸市出身。研究者、データサイエンティスト、プロジェクトマネジャー。組織・チーム・個人のパフォーマンスを研究し、アカデミアの知見とビジネス現場の橋渡しを行う。心理的安全性の計測尺度・組織診断サーベイを開発するとともに、ビジネス領域、スポーツ領域で成果の出るチーム構築を推進。