電話応対でCS向上コラム
第120回「言葉という財産を守る」記事ID:C10106
「日本語には正しい日本語、間違った日本語というものはない。それは変化しているだけなのだ。言葉については軽々に言い張るんじゃないぞ」。新人の頃に先輩に言われた一言が、ずっと気になっていました。それにしても、このところその変化が激しすぎませんか。今回は日本語の変化について考えます。
「万物は言葉によって成った」
「始めに言葉ありき。言葉は神とともにありき。言葉は神であった。万物は言葉によって成った」。新約聖書ヨハネの福音書第1章に出てくるこの一節をご存じの方は多いでしょう。私も、少年時代に通っていたキリスト教会の日曜学校で、この言葉を教えられた記憶があります。長じて再びこの言葉に出会った時には、政治も経済も、哲学も文学も、歴史も科学も宗教も、そして生きてゆく営みのすべてが、言葉なくしては生まれないことに大いに納得したものでした。「言葉」は、人類の行動や状況を伝え、場や時に応じて、思考や意思、感情を表現する貴重な手段であり続けてきました。中でも日本語は、自然と一体化した、世界有数の豊かで繊細な言葉なのです。
言葉が人類の歴史を作った
ところがここにきて、コンピューターの急速な進歩が、言葉と人間と自然の関係に水を差し始めました。言葉の役目は、話す、聴く、書く、読むことにあります。もっと具体的に言えば、ただ話すのではなく、用件や行動、自然との関係や心情を、それを必要とする人に伝え、納得してもらう力です。20万年前に人類が言葉を身につけたころの言葉は、生きてゆく上で必要な、命にかかわるものだったはずです。その後の幾万年の葛藤や星霜を経て、言葉は世界の各地で、それぞれに進歩し続けました。話すだけではなく、考えをまとめたり、記録する文字も生み出しました。それが多様な文化の発展につながってきたのです。
コンピューター社会と 言葉の衰退
今コンピューターは、21世紀の歴史を激変させつつあります。通信技術一つをとっても、パソコン、スマホの普及が、政治、経済、暮らしやビジネスを大きく変えました。その便利さは、私たちに計り知れない恩恵をもたらしました。しかし、得たものの陰には支払ってきたさまざまな代償があります。その一つが「言葉」です。知らぬ間に「言葉」という巨額な代償を払っているのです。位置づけが変わったのです。その失いつつある言葉の変化に対して、私たちはあまりにも寛容すぎませんか。
「ビタビタに着 ってやろう!って」
この言葉、何を言っているか分かりますか? 2年前、北京での冬季オリンピック大会。そこで大活躍をした日本の少女が、インタビューに答えた言葉です。言いたいことは分からなくもありませんが、晴れの舞台で話す言葉でしょうか。
この少女は、普段仲間内でしゃべっている言葉で答えただけですから、責められることではないでしょう。問題は、彼女の周りには場をわきまえて話すという教育が全くなかったことです。若者たちの間にこうした日本語が蔓延していることに、大人社会はさしたる反応もしませんでした。その寛容さに、私は日本語の危機を感じるのです。
日本語が払った代償 とは何?
日本語の変化を危惧する声は、昭和の末期から平成、令和にかけて上がり始めました。①は語尾伸び、語尾上げの話しぐせです。その症状は、若者だけではなく、言葉を生業とする作家や芸能人、教育者、知識人層にまで広がり収まりません。不自然なイントネーションや長音は言葉の意味まで変えてしまいます。②は貧しくなった語ご彙い です。日本の成人の持つ語彙数は4~5万語と言われますが、使いこなせる語彙が、近年、急激に減少傾向にあります。生成AI の進歩で、辞書を引かなくても簡単にほしい言葉が手に入るからでしょう。③はアクセントの平板化です。話し言葉に情感がなくなりました。これも省エネの一つです。④は専門用語を含めて、日本のあらゆる出版物にカタカナ語が異常に増えていることです。外国語を多用することで権威づけを狙っているのでしょうか。⑤は省略語の多さです。口に乗りやすい短さにして宣伝効果を狙っているのでしょう。令和はこういう時代です。電話という貴重なアナログの利器で、言葉という財産をご一緒に守りましょう。
岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。