電話応対でCS向上コラム

第108回「普通に話す」

記事ID:C10071

言葉磨きにもさまざまな正解があります。前回の「表現する」は、やや技巧的な難しさがありましたが、今回は極めてシンプルに「普通に話す」です。しかし、「普通ってどういうことですか」と改まって訊かれますと、正直言ってたじろぎます。話し方に限らず、普通にとか自然にという要求に応えることは極めて難しいのです。特にビジネスでの話し方はパターン化しやすい傾向があります。今回は「普通に話す」をテーマに考えます。

「米倉!普通にやれ!」

 劇団民藝の看板俳優の一人であり演出家でもあった米倉 斉加年さんが亡くなって9年になります。私は、その重厚な演技と多才な活躍ぶりに魅せられていた一人でした。九州・福岡出身の米倉さんは、芝居の道を志して上京、劇団民藝の研修生となりました。数年を経て、漸ようやく初舞台を踏んだ米倉さんは、幕が下りた後、舞台の袖に興奮冷めやらぬ思いで立っていました。そこに、民藝の重鎮、宇野 重吉さんがスーと寄ってきました。そして、「米倉!普通にやれ!」と一言言って、去って行ったそうです。それからの長い芝居人生にとって、宇野 重吉さんに言われた「普通にやれ!」は、薄れることのない大きな目標になったと、米倉さんは話していました。
 以来、「普通にやる」は、私にとっても、ことあるごとに重い言葉となりました。「普通」とは何でしょうか。辞書には【並み、通常、当たり前】と載っています。肩に力が入っていないこと、自然体とも言えます。

「普通」とは そこに存在していること

 米倉 斉加年さんが、普通な演技をするためにどのような努力をされたのか、残念ながらうかがう機会はありませんでした。
 その答えにヒントをくれたのは、ハリソン・フォードの吹き替えでも知られる同業の俳優、村井 國夫さんです。村井さんがミュージカル「蜘蛛女のキス」に出演した時のことです。演出家ジョン・ケアードに、徹底的に考えさせられる指導を受けました。ベンチに座っている一人の女性のことを伝える「その女がねえ」という一言のセリフに、演出家のOKが出ません。表現を変えて、何度も何度も言ってみるのですがNOです。村井さんは遂に音を上げて「一体何がダメなんですか」と開き直りました。すると演出家は一言指摘をしました。「あなたはそこに存在していない!」。この一言に、すべての答えがあるように私は思います。
 芝居の世界だけではなく、電話応対での普通さも、電話してこられたお客さまの容姿、表情、心情、その状況をしっかりイメージして話すことから生まれます。それができて初めて、オンラインでつながれた電話応対の場に存在する応対者となれるはずです。文字化されたマニュアルやスクリプト、漠然としたお客さま像しかつかめていない応対は、どんなにきれいに上手に話しても、良い応対とは言えないでしょう。そこに存在して初めて、語調も息づかいも声の表情も変わってきます。その応対こそ、AIには絶対にできない人間応対者の世界でしょう。そこまで理想像を追い過ぎますと、やや実体と乖離してしまうかもしれません。ただ、このところ急速に領域を広げ続けるAIの存在感、無秩序にもみえるIT社会の進歩の中で、疎遠になる人間関係を案じます。もっと、IT社会のもたらすリスクにも目を向ける厳しさが必要でしょう。

上手にやろうとするな

 現実の電話応対指導に話を戻しましょう。AIの話す力は予想以上に精度を上げ、活動範囲を広げています。しかし人間が働くコールセンターはまだまだ健在です。
 以前に、人形浄瑠璃義太夫節の人間国宝、故・七世竹本 住大夫さんが、弟子に稽古をつけている映像をテレビで見たことがあります。心に響く言葉がありました。「上手にやろうとするな!」「上手にやろうとして上手くできた試しはない!」。住大夫さんは何度かそう言われたのです。この教えは、即ち「普通にやれ」ということでしょう。文楽の世界に限らず、演劇でも音楽でもスポーツでも、さらにはスピーチや電話応対もまた、上手くやろうとすればするほど、体も心も平常の状態を失い、普通ではなくなります。その結果、失敗を招くのです。
 普通とは、短所も長所も臆することなく堂々と晒すこと、そこで発揮できる力こそ、本物の力でしょう。厳しい芸道の指導にも、案外単純な要諦があるのかも知れません。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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