電話応対でCS向上コラム

第107回「表現する」ということ

記事ID:C10068

電話とは言葉です。遠く離れたところにいる人にも、言葉を通して、さまざまな情報や意思を伝えます。LINEやSNSによる情報交流の比重が高まってはいますが、迅速に正確に、声で伝える言葉の役割は変わりません。とは言っても言葉は言えば伝わるものではありません。大事なのは表現力です。今回は、言葉の表現力について考えます。

物足りない言葉の表現力

 簡潔な定義で表せば、表現とは、言葉だけではなく、身振り手振り、顔の表情、声の表情、さまざまなものを使って、また色や音を使って、自分の心にあるものを伝えます。それは多様で、豊かな表現の世界のはずです。ところが残念なことに、言葉には本来それぞれの意味があるために、伝わるのはその意味の範囲で止まってしまいます。とても勿体ないことです。表現次第で、言葉が伝える意味は大きく広く深くなります。その力は、声であり、息であり、間であり、イントネーションの変化が生み出します。

常套句の表現を点検する

 例で見てみましょう。以下に挙げる三つの文例は、応対者の皆さんが日常よく使っている常套的な言葉です。毎年の電話応対コンクールなどでも、何度も耳にします。
ア.「お電話有難うございます
イ.「いつもお世話になっております
ウ.「お待たせして申し訳ございません
 下線を引いた三つの言葉は、全部違う心の表現です。ア.は電話を下さったことへのお礼、イ.はいつものご贔屓への感謝、ウ.はお待たせしたことへのお詫びです。ところが、表現した時には、三つとも同じ息づかいになってしまうのです。つまり1音目から強く出てしまうので、お礼もお詫びも同じになります。本当にお詫びを言おうと思えば、1音目は息の声になるはずです。AIの話し方の精度は日々上がってはいますが、彼らにはまだそこまでの表現の変化はできないでしょう。
 本当にその言葉の意味や感情を伝えようとすれば、息づかいもピッチも間も微妙に変わるものです。そうならないのは、意味を伝えずに文字の言葉だけを伝えてしまうからです。
 電話応対コンクールなどでは、スクリプトに頼ることが多いため、練習をすればするほど、音だけが強くはっきり出て、結果的に自然さにはほど遠い話し方になってしまうのです。

声の大小による表現の違い

 電話応対の話し方では、声の大小を気にすることはあまりなさそうですが、芝居の世界や音楽の世界では、声や音の大小は微妙な感情表現に大きく影響します。
 「良き部分を集めても良き全体にはならない」という、私が好きな名言を残された作曲家の三善晃さんがこんな話もされています。「小さい声で『あなたなんか嫌い!』と言われると、心に応える」というのです。つまりピアノの演奏では、ピアニシモという小さな音を出すのが非常に難しいと聞きます。著名なピアニストであった遠山慶子さんがこんな言葉を残しています。「ピアノの演奏の中で、ピアニシモの音を出す時が非常に難しい。力が入り過ぎて奥歯が欠けたことがあります」と。音楽の世界のことは、私には実感としては分かりませんが、言葉の表現でも、本当に伝えたい大事なことは、小さい声で言うことがあります。それが言葉の表現の難しさであり面白さでもあるのでしょう。

言葉の音は一つではない。無限にある

 新劇の演出家から聴いた話です。劇団員の稽古の中で、さまざまな言葉を声で表現させる訓練があるそうです。例を挙げますと、分厚いとペラペラの赤いバラと赤い血、東京の座と石見山、婚式の銀と貨の銀―。これはかなり難しい表現問題です。銀座と銀婚式の銀は価値を表し、銀山と銀貨の銀は単なる金属です。それをどう表現で変えるかです。私も日本語センター時代に、同じような表現問題に取り組んだことがあります。
 が痛い。に来た。の体操。この三つの「頭」は全部違う音なのです。この三つを録音して、音声を分析する機械にかけますと、その違いがハッキリ出てきました。今、AIにこの問題をやらせたとして、その違いを表現できるでしょうか。
 日々進歩を加速させるAIと競う必要はありませんが、私たちは言葉の持つ力とその価値を知っています。人間が話す言葉は有限ですが、その表現は無限に広がるのです。その微妙な表現に拘ることが、AI時代の人間の応対力を、素敵にしてくれるでしょう。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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