電話応対でCS向上コラム
第99回 「叱ってくれる人がいない」記事ID:C10046
「褒められるより叱られるほうが嬉しい」と言う人が結構いることに驚きます。褒められると嬉しくはあっても、何となく居心地の悪さを感じる。むしろ叱られるほうがすっきりして、やる気が起きると言うのです。「人は叱られて育つ」という昔からの格言が生きているのでしょうか。今回は、現代の叱り方事情について考えます。
叱り方が下手になった
「怒る」は自分本位な感情の露出ですが、「叱る」とは相手の考えや言動を正さんがためにする行為です。つまり怒ることは簡単ですが、教育的効果を期待される「叱る」は、責任のある難しい行為なのです。
近頃の子どもたちは、昔と比べると叱られた経験が少ないように思います。昔は、何かにつけて叱ってくれる大人が周りにいっぱいいました。子どもを叱るのは大人の共同責任だったのです。今はうっかり他人さまの子どもを叱ったりすると、とんでもないトラブルになりかねません。今の少子化家庭では、子どもを叱ること自体が下手になっているのでしょう。一方、学校ではどうでしょうか。先生方もまた、親御さんや世間に気を使ってか、あまり厳しくは叱らないようです。
この傾向は、社会人になってからも続きます。管理者研修などでその実態を訊いてみました。
1.叱られ慣れしていないので、叱るとふて腐れて直ぐに辞めてしまう。2.叱っても効き目がない。3.叱ると人間関係が悪くなり、仕事がやりにくくなるので引いてしまう。4.特にIT系の業務スキルや知識は、圧倒的に彼らのほうが高いので叱り難い。など、業種を問わず同じような答えが返ってきました。
加えてパワハラ、セクハラなどへの配慮もしなければなりません。企業内での上司もまた叱り方が下手になっているのです。それに今の若い人には、昔のような終身雇用という感覚はありません。この傾向は今後とも続くでしょう。だからと言って、経営者や管理者はこの状況を良しとはしていないのです。企業にとっては人材の確保、優れた教育環境の整備は最重要課題の一つなのですから。
怖かった無言の叱声
今とは違って生放送が原則であった放送の世界では、平然と言えることではないのですが、放送事故はつきものでした。ことにアナウンサーの仕事は、常に秒単位の時間との戦いでした。1秒押してもみっともない終わり方になります。また一旦口にした言葉は取り消しが利きません。瞬時に全国に流れてしまいます。それだけに地名や人名、数字などの読み間違いや誤読には、神経を使ってきました。
初任地の小倉市(現北九州市小倉区)には、北方(きたがた)という知られた地区があります。着任して間もない頃、その北方であった交通事故のニュース原稿を「小倉市のほっぽうで交通事故がありました」と読んだのです。すぐにお叱りのハガキが届きました。「お前は世界でも珍しい放送をした。地図をよく見てみなさい。小倉のほっぽうはすぐ海だ」東京に来てからも、全国放送で、「四斗樽(しとだる)」を「よんとだる」と読んで、「言葉を知らない近頃の若いアナウンサー」と新聞にまで書かれたことがあります。上司にも叱られましたが、一番怖いのは、視聴者の皆さんからの無言のお叱りでした。
先輩から受けた 叱り方の十戒
また昔話を一つします。私がアナウンサーという専門職から、部下を持つ管理職になった時のことです。前任のT先輩から言われた一言を忘れません。それは「部下を叱れる上司たれ!」でした。そして「これは俺の十戒だけどね」と言って1枚の紙をくれたのです。そこにはTさんの部下育成の10の戒めが書いてありました。それは少しも古くさくはないのです。
1.どこが悪いのか、どうなってほしいのかを明瞭に示せ。2.その場ですぐに叱ること。後だと効果が薄い。3.感情に任せて叱らない。一息つこう。4.事実を具体的に叱る。そのためには事実関係をはっきりさせる。5.ねちねちと以前の失敗まで持ち出さない。6.他と比較して叱らない。7.言い分にはしっかり耳を傾ける。8.叱るだけではなく、褒める点も見つけておく。9.叱る時は1対1(褒める時は皆の前で)。10.期待感をこめて真剣に叱る。
Tさんがくれたこの戒めは、その後数十年、私の行動と反省の指針となってきました。
岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。