電話応対でCS向上コラム

第98回 「褒め上手になる」

「褒める、叱る」は人間教育にとって欠かせない「心の技術」です。ところが、この技術が、昭和の後半から平成、令和とじわじわと劣化しているように思います。その懸念が、ここ数年のIT の急速な進歩とコロナ禍で一気に進みました。人と人との接触が薄れ、心の技術を支える信頼感が希薄になったせいでしょうか。それだけに、あえてこの時期に、「褒める、叱る」について考えることにします。今回はまず「褒める」です。

低下する「褒め言葉」の 存在感

 「褒める、叱る」という行為は、まず家庭教育のしつけに始まります。そしてすぐに学校教育でも大事な役割を担うことになります。やがて大人になっても、職場での人材育成や人間力の形成にも大きく関係してくるのです。しかしその割には、褒める技術を磨こうと意識して実行している人は少ないように思います。その結果、褒め言葉の存在感はどんどん低下しているのです。
 本来「褒める」とは、大きな責任を背負った大事な行為のはずです。「褒める」には、相手を喜ばせるだけではなく、その一言で相手にやる気を起こさせる重要な役目があるのです。しかし、うかがう限りでは、少子化の中での子育てには、厳しさよりも甘い褒め言葉が多いようです。一方、中小企業のメーカーで役員をしている知人から聞いた話ですと、パワハラやセクハラ批判を恐れる上司たちは、うっかり褒め言葉も言えずに、無難な日常会話でかろうじて部下との接点を保っているのが現状だと言うのです。

長所は努力しなければ 見えない

 ここで原点に立ち返って、「褒める」とは何かを考えましょう。褒めるとは、相手の人柄、考え方、行動、発言、能力などを認め、その共感を言葉にして相手に伝えることです。
 古来、勤勉で誠実な日本人は、人を思いやる優しい心を持っています。しかし、その心を言葉にして伝えることが苦手でした。極端な言い方をすれば、人を褒める訓練などはしたことがないと思います。人の欠点は少しつき合っていれば、自ずと見えてきます。しかし、人の長所は努力しなければ見えにくいものです。ですから、人の悪口はいくらでも言えますが、褒め言葉の使い方は意外に難しいのです。

私の褒められ経験

 褒められて怒る人は滅多にいないでしょう。たとえそれがお世辞だと分かっていても、そう悪い気はしないものです。むしろそれでやる気を出して頑張る人だっているのですから。
 数十年の昔、実は私がそうでした。東京のアナウンス室には、毎晩6人のアナウンサーが宿泊勤務についていました。泊り明けの翌日は6人とも公休でした。その日にゴルフに行く相談が持ち上がりました。先輩3人の都合は揃ったのですが、一人足りない。そこで一番下っ端の私が半強制的に仲間に引っ張り込まれたのです。全くの初心者でゴルフのゴの字も知らなかった私です。「野球やテニスと違って、止まっている球を打つんだから簡単だよ」先輩アナのその一言に騙されて、貸しクラブを担いで、ついにゴルフデビューをしたのです。もちろんスコアは散々でしたが、プレイが終わってお茶を飲みながら、3人の先輩が口々に言うのです。「初めてでこのスコアは凄い!」「本当に初めてなの?嘘だろう?」「天才だよ!こんなビギナー見たことない」私はすっかりその気になりました。クラブを買い揃え、練習場にも通いつめました。それから2年ぐらい経ったある日、件の先輩たちが笑いながら私に言いました。「岡部君、あの時さあ、その気になっただろう。最初に寄ってたかって褒めると、みんなその気になるんだよ」……。ゴルフとは別に、大変良い勉強をさせてもらったのでした。これもまた、日ごろの信頼関係があってのことだと思います。

褒める点を一点だけ見つける

 初対面の人に会った時に、私はその人を褒める点を一点だけ見つけるようにしています。
 ファッションセンスでも話し方でも、気配りでもマナーでも、一言の言葉でも。その一点からその人の印象が決まります。記憶に残ります。そこから相手が好きになります。そしてその一点を、ためらわずに、具体的な褒め言葉にして伝えるようにしています。
 以前にご紹介しました慶應義塾大学の故・岩松 研吉郎さんの、「話し言葉は正邪善悪せいじゃぜんあくで考えないこと、大事なのは好きか嫌いかだ」という言葉を、あらためて思い出します。

正邪善悪せいじゃぜんあく:良いこと、悪いこと。物事の良し悪し。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会委員。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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