電話応対でCS向上コラム

第85回 「知識は人を育てない」

記事ID:C10020

「知識は人を育てない」などと言いますと、「何と馬鹿なことを!」と叱られそうです。厳密に言えば、「知識は人間力を育てない」です。私たちの暮らしや仕事にとって、知識や情報は欠かせません。しかし、必要度から見ると、優れた頭脳と人間力は、必ずしも折り合いません。人間力を育てるのは“知識”ではなく“経験”なのです。良い経験談は、私たちを感動させ刺激を与えてくれます。経験談には、生きてきた人間のドラマがあります。

米国のエグゼクティブが受ける「社長試験」

 大分以前の話です。米国にいた友人から、米国には社長を目指す人を対象にした「社長試験」という関門があると聞いたことがあります。そこで出題される問題が誠にユニークなのです。「シェイクスピアを一冊読んで、その感想を述べなさい」というのです。シェイクスピアの作品には、多様な人物が登場し、絡みがあり、さまざまな葛藤があります。シェイクスピアの描くドラマは人生の縮図なのです。社長候補たちは、その作品から何を感じ何を学ぶのか。そこにはこれから社長になって遭遇するであろうさまざまな経営上の課題、人と人とのつき合い方、人間の管理。仕事を伸ばしてゆくための創造性、行動力、発想力。それらのすべてが書かれているのです。頭脳明晰で豊富な知識だけでは社長にはなれません。それらはすべて、“人間”を知らなければならないということでしょう。社長試験は今もあるのかどうかは分かりませんが、単純にして重い試験だと感心した記憶があります。

“素”を見て選ぶ

 ジャニーズを育て上げ、少年たちに夢を与え続けた非凡な経営者、ジャニー喜多川さんが一昨年亡くなりました。その時、毎日新聞に報じられたジャニーさんの逸話が胸を打ちました。ジャニーズ事務所のオーディションには、全国から夢を膨らませて少年たちが集まります。その会場に一人の老人が、お茶の入ったやかんと茶碗を持って現れました。「お茶は要らんかね?」「お茶はどうかね?」そう言われても無視する子、素っ気なく断る子、仲間とおしゃべりを続ける子、「いつまで待たせるんだ!」と文句を言う子。一回りした老人は、正面の、社長席と札の貼ってある席の前に立って言いました。「今日のオーディションはこれで終わり、解散!」呆気にとられる少年たち。お茶を配っていたのは、ジャニー喜多川さん自身だったのです。「私は“素”を見て人を選びます」と、ジャニー喜多川さんは報道陣に語ったそうです。“素”を見て人を選ぶ眼力、誰にでもできることではないですね。
 かつて大手のコールセンターで研修をした時のことです。レベルの高い素敵な方ばかりでした。昼休みのエレベーターホール前で数人の女性が大声で話していました。「ねえねえ、今日何食う?」「また麺じゃやべーよな」???私は耳を疑いました。それは、先ほどの研修では、見事な応対を聞かせてくれた方たちだったのです。その落差にショックを受けながらも、“素”の大切さ、言葉の指導の難しさをつくづく思ったものでした。

生き方が電話応対に出る

 教育とは、“素”を知ることから始まります。“素”を見抜けなければなりません。同時に指導者自身の“素”も見られているのです。それは知識や情報の量だけではありません。生き方です。その経験を伝えることができる言葉の力です。
 以前に拙稿でもご紹介した名優、高倉健さんの言葉を思い出します。「生き方が芝居に出る。演技ではない」そして私なりに、その言葉をアレンジしました。「生き方が電話応対に出る。スキルではない」
 進歩を続けるAIは、膨大な知識を保有することができます。しかし、人を育てる力はないでしょう。人間力を育てるのは、地道な“経験”です。これからは、ストレートに知識を教えるより、経験を語り、感動を伝えられる指導者が必要になると思います。
 広島、長崎、沖縄には、悲惨な被爆体験、戦争体験を語り伝えてきた語部かたりべたちがいます。原爆や沖縄戦の記録は、文章としてもたくさん残されています。しかし地獄図と言われた悲惨な体験を伝えるのは、語部の皆さんの言葉しかないのです。それは経験を語る強さです。
 AI化が進んでも電話という人と人との心を通じ合わせるツールは、決してなくならないと私は思います。そのためにも過去の経験、令和の今の過渡期の経験を、しっかり言葉で伝えられる「電話の語部たち」がいてもよいように思います。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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