電話応対でCS向上コラム

第25回 「教えるコミュニケーション、教わるコミュニケーション」① 人はみな教えたがる

「物欲、食欲、性欲」は人間の3大本能と言われます。これにもう一つ「教欲」を加えて4大本能とも言います。私たちにとって、自分が知っていることを知らない人に教えることは、本能的な喜びでもあるのです。ですから人が教えているところに割り込んできて顰蹙をかう教えたがりも、決して珍しくありません。今回から3回にわたり、「教えるコミュニケーション」についてシリーズで考えます。

賢者は学びたがり、愚者は教えたがる

いきなり厳しい格言を書いてしまいましたが、教育の立場から言いますと、教えたがることは決して好ましいことではありません。「教欲」の満足とは、往々にして知識技能に偏重しがちだからです。自分の持っている豊かな知識やスキルを、手順どおりに、明快に次々と繰り出す指導教育であれば、それは楽に出来るでしょう。

しかし、それだけでは教育とは言えません。教育とは、もっと全人格的でメンタルなものです。一人ひとりに向き合ってするものです。相手が理解し納得し変化することを見守らなければなりません。ですから、「何をどれだけ教えたか」ではなく、「何を分かってくれて、どう変わったか」が大事です。そのためには、ただ教えるのではなく、相手が本来持っているものを自分で見つけ出すのを、根気よく待つ我慢が必要でしょう。

Don’t over teach(教え過ぎるな!)

この言葉は、以前に横浜ベイスターズの監督だった権藤 博さんから聞きました。権藤さんがかつて米大リーグドジャースのキャンプを訪れた際のことです。そこで一人の若者が入団テストを受けていました。彼の打撃フォームを傍で見ていた権藤さんが、見かねてちょっとしたアドバイスをしました。若者は見違えるように調子を上げました。その時、ドジャースのコーチから言われた厳しいひと言が、その後の自分の野球人生を変えたと権藤さんは言います。「なぜ教えた?教えるのは簡単だ。だが教えられたことは直ぐに忘れる。自分で気づいたことこそが身につく。なぜ彼が自分で気づくのを待ってやれないのか」。

ドジャースには分厚い野球のバイブルがあるそうです。その第1ページに大きく書いてある言葉があります。Don’t over teach(教え過ぎるな!)

教える目標を一つにしぼる

具体的な話に戻しましょう。多くの指導者、教育者が気づかずに落ち込んでいる陥穽(かんせい)があります。あれもこれも教え過ぎるのです。教える側からすれば、欠点は簡単に目につき耳に聞こえますからついつい言ってしまいます。たくさんの指摘ができることは、指導する側には充実感がありますし、言われた本人もその上司も、よい指導を受けたという満足感を持つでしょう。そして、その指導がきめ細かく厳しいほど、職場内でも評価され信望を集めているのです。

しかし、教育の最終目標は、指導者が際立つことではありません。部下や受講者が自ら気づき変わることです。あれもこれも言っていたのでは結局何も変わりません。細かい部分より、その人にとって最も大事な課題を、努力目標として1点に絞ることです。そしてその変化をしっかり見守り見届けてください。その1点が「主」であり、その判断ができることが、指導者にとって必要な能力なのです。

1点が変わった時に、部下や受講者は、次のことに挑戦しようという意欲を燃やすでしょう。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員会委員長。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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