電話応対でCS向上コラム
第135回 「書いてはダメ!」記事ID:C10150
平安文化の伝承の中で花開いた書き言葉に対して、日本での話し言葉の発達は大きく立ち遅れました。そのため今に至るも、演説やスピーチ、挨拶などの話し言葉の場では、書いた原稿を手放せない人が多いのです。生成AIの異常とも言える活躍を、唖然としながら眺めているのではなく、文字に頼らぬ私たちの話し言葉のこれからを、ご一緒に考えましょう。
文字ではない意味を伝える
半世紀余の昔、私がNHKに入った頃のアナウンサー教育の第一課は、書かれた原稿を上手に間違えずに読むという、多分にテクニカルな教育でした。それが、私が携わった平成の頃から、教育手法が変わり始めました。技術指導の前に、「アナウンサーとは何をする人間なのか」、新人たちにまず徹底的に論議させます。そして、文字を伝えるのではない、意味を伝えるのだ。そのためには、伝える情報の内容を徹底的に考えること。トチってもよい。絶句してもよい。失敗してもそれは言い直せばよい。きれいに上手に読む前に、自分で考えたことを、自分の言葉で話して伝えること。そういう教育に大きく変えたのです。その第一課の教材は「自己紹介」でした。各自がそれぞれ自分の自己紹介を、自分の言葉で話すのです。もちろん原稿はありません。「言葉は考えてから話すこと」。今考えれば、それは当たり前のことかもしれません。でも、読むことから入っていたNHKのアナウンサー史にとっては、画期的な変革だったのです。
知識より経験を語る
自己紹介の第一課では、自己紹介の持つメリットとデメリットを伝えます。まずメリットとして、私たちは話者の語る知識より、話者しか語れない
自分の言葉で話す
話を電話応対に移します。私が電話応対技能検定に深く関わらせていただいた頃から、電話応対コンクールの応対で、原稿を書いて、それを覚えて話す人が多いことが大変気になっていました。そつなくスムースな応対なのですが、表現が皆同じに聞こえます。きれいに仕上げられた原稿の文字が、そのまま聞こえてくるのです。書いた原稿を覚えて話すのでは、どんなにスムースにきれいに応対できたとしても、それは電話応対とは言えないでしょう。ユーザ協会の二つの事業である電話応対コンクールの応対と、企業電話応対コンテストの入賞者の応対を聴き比べてみてください。自然さが明らかに違うことに気づかれるでしょう。このことは、これまでも折にふれて申し上げてきました。同調してくださる方は何人もいます。しかし一方で、スクリプトを容認している指導者も、決して少なくはないのです。どちらが正しいか間違っているかの判断はできません。しかし電話応対は、今や生成AIと共存する時代です。それもますます人間の応対に近づいているのです。しかしAIの応対には限界があると思います。内容ではなく、自然な会話の流れ、声の表情、胸に響く一言など、AIには真似のできない高度な、人間の対話力を競うコンクールに育てば、それは素晴らしいことですが、そこまでは高望みし過ぎでしょうか。
予定稿は作れない電話応対
プレゼンテーション、スピーチ、研究発表や演説、挨拶、商品の説明など、数多い話し言葉の中で、電話応対は唯一予定稿を書けないトークでしょう。相手がどう出てくるかはほとんど想定できないインプロビゼーションの世界です。そしてもう一つ、電話応対の特徴として、用件と内容が主になるのは当然としても、そこでの言葉のやり取りには人間性と情感が繊細に絡んできます。それによって、心のつながりを作ってくれるメディアでもあるのです。原稿がないと話せないのは、日本の言葉文化の弱点でもあります。そう考えれば、電話応対コンクールだけ厳しくするのは酷かもしれません。
「書いてはダメ!」とタイトルをつけましたが、現実には書かなければ前に進まないこともたくさんあるでしょう。その理想と折り合いをつけながら、話す言葉力を高めてください。

岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。