電話応対でCS向上コラム
第137回 「平板化するアクセント」記事ID:C10155
私たちが言葉を話す時に、そこには必ず高低、強弱、緩急、大小、抑揚、間などの変化がついて回ります。それによって、言葉に表情が生まれ意味が変わります。中でも、高低に変化する言葉は、イントネーション、アクセントとしてお馴染みでしょう。そのアクセントが、今変わりつつあるのです。そのことの検証が今回のテーマです。
アクセントとは何?
「アクセント」という言葉自体はすっかり日本語化して、注釈の必要もないくらいに暮らしに溶け込んでいます。しかし、アクセントそのものには変化が生じているのです。
アクセントには、「高低アクセント」と「強弱アクセント」の二つがあります。日本語は個々の語について、相対的に高低関係が決まっている高低アクセントです。片や英語やドイツ語のように拍と拍との間が強弱関係で決まっている言葉は「強弱アクセント」と言います。今その日本語の特徴である高低関係が崩れて、日本語アクセント全体が平板化しているのです。日本語の土台である高低アクセントが崩れると、日本語そのものが崩れてしまいます。
出没する「クマ」のアクセント
昨年の秋口から、東北地方北部を中心に、頻発するクマによる被害が、大きな問題となって報じられています。私どもとしては、これ以上の被害者が出ないことを祈るしかないのですが、それとは別に、クマ被害の報道を聞くたびに、関連して気になることがあります。「クマ」のアクセントです。事件を伝えるアナウンサーや関係者のほとんどが、「クマ」を伝える時に平板に「クマ」と言っていることです。私が若い頃は「クマ」は「ク」を高く言う頭高アクセントでした。調べてみましたら、2016年版のNHK発音アクセント新辞典では、頭高も平板も認めているのです。言葉には絶対的な正解はないというのが一般的な認識ですが、「クマ」も時代とともに変化してきたのでしょうか。
「赤とんぼ」は頭高
アナウンサーになった最初の養成研修で、講師に来られた歌人で国語学者の土岐 善麿さんが、アクセントについて語られた記憶があります。「歌というのは必ずアクセントに忠実に作られています。君たちは『赤とんぼ』をどう発音しますか?」と訊かれました。全員が「とんぼを立てる中高」と答えました。すると土岐さんは、「それは違います。頭高です。童謡『赤とんぼ』で歌う歌は、『夕焼け小焼けの赤とんぼ』と赤を立てて頭高で歌うでしょう。作曲した山田 耕筰が、アクセントに忠実に、赤とんぼと頭高で作曲しているのです」。この考え方でいけば、明治時代の童謡「金太郎」は、「足柄山の金太郎、クマにまたがりお馬の稽古」と歌いましたから、クマはやはり平板ではなく頭高なのです。
アクセントは話し言葉のいのち
ここで「クマ」や「赤とんぼ」のアクセント論争をしても仕方がないのですが、私がこだわるのは、日本語は本来、高低アクセントを基本とした言葉だということです。発音には、平板型、頭高、中高、尾高という4種類があります。どこにアクセントを置くかで微妙に意味やニュアンスが変わります。しかしアクセントには、正誤があるわけではありません。もともと地域によって違いますし、また時代とともに変わってもきています。アクセント辞典も数社から出ています。NHKでは共通語のアクセントという位置づけで、数年ごとに改訂をしています。アクセント辞典を開いたことのある方はご存じでしょうが、複数のアクセントが、許容範囲として並んでいる言葉がたくさんあります。それが改訂ごとに増えているように思います。私は個人的にはアクセントは守らなければいけない、その変化も野放しではいけないと強く思っています。「厚い」と「暑い」「熱い」の区別がつかない人が、プロの放送者にも最近とみに増えています。
蔓延する平板型アクセント
それにしても名詞の平板化現象は目に余ります。映画も電車も図書館も平板になりました。外来語は新旧を問わずそのほとんどが平板です。ビデオ、オーディション、ディレクター、ナレーション、リハーサル、ドラマ、メーカー、ラベル、サイン、マネージャーなど、アクセントのある言葉を探すのが至難の業です。平板な言葉には情感がなくなり、表情が消えます。平板な会話のやり取りからは、温かい人間関係は生まれないでしょう
岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会検定委員。
NHK アナウンサー、(財)NHK 放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。