電話応対でCS向上コラム

第9回 着眼点が異なる「違い」に着目する裁判と、「同じ」に着目するメディエーション

第三者が当事者同士の話し合いを促し、トラブルを解決に導くメディエーション(調停)。前回は、白黒をつけるのではなく、対話によって解決を図るメディエーションのメリットを、具体的に事例を絡めてお話ししました。今回は、裁判とメディエーションの着眼点の違いと、それによってもたらされる結果の違いについてお話しします。トラブル収拾の極意を学び、当事者同士の相互理解を促すコミュニケーションの基本を身に付けましょう。

「違い」に着目する裁判での争い

対話による解決を図るのがメディエーションの特長です。しかし、もし法的な問題として解決を図った場合には、メディエーターに出来ることは限られてきます。そこで1つの疑問が出てきます。メディエーターに法律の知識は必要ないのか。これはメディエーションを考える上で大きな論点でもあります。

法的な問題は、「あれか、これか」の解決をします。しかし、できれば「あれも、これも」の解決を目指したいものです。

法的な問題を解決する、ということは“痛み分け”をするのではなく、その多くは、どちらの主張が正しいか決めることになります。裁判では当事者が、ある法律要件に基づき、該当する事実を主張し、その事実を認めるに足りる証拠を提出し、それを第三者である裁判官が「自由な心証」により、その事実が高度な蓋然性があるかどうかを判断し、二者択一で、どちらか一方だけの主張を認めることになります。

つまり、法的な解決というのは、「違い」に着目するのです。そのため、法的な紛争解決の手法は、争点という違い(意見が合致しない点)を特定し、それを証拠で認定することになるのです。

「同じ」に着目するメディエーション

 対してメディエーションは、「同じ」に着目します。原則として、両者の共通点に着目し、まずはそこで、「同じ土俵」を少しでも共有することから、話し合いを進めていきます。

しかし、同じ土俵を共有することは簡単なことではありません。紛争の渦中にある当事者は、目の前の対立点にばかり目が行ってしまい、その奥にある「共通点」にまで目が届きづらい状態にあるからです。

そこでメディエーターの出番です。第三者であるメディエーターは当事者と利害関係がないため、「共通点」が見えやすいものです。しかし、ここでメディエーターは、当事者が「共通点」に気づくように積極的に働きかけるようなことはしてはいけません。あくまで、メディエーターは話し合いを促し、答えは当事者自身で見つけるのがメディエーションだからです。

そこには、人は他者から教わったり、命じられるのではなく、自分自身で発見した事柄でないと、なかなか変われない、という人間の問題があります。

その気づきが、当事者の心に変化をおよぼし、口から出てくる言葉も、考え方も変わってくるのです。このように「同じ」に着目することで、メディエーションでは、円満解決を実現できるようにしていきます。

つまり、メディエーションにおける勝利とは、裁判におけるそれとはまるで違うものなのです。裁判の訴訟で勝って、相手方から、「無理矢理もらう100万円」より、話し合い、相手方から、「理解・配慮を得た上での10万円」の方が、価値があると考えます。

もしメディエーターが「配慮」にあたる部分を担ってしまったら、双方の納得感は半減することになり、円満解決を実現するのが難しくなります。それはつまり、メディエーション自体の価値を半減してしまうことにもなるのです。

※メディエーションは、「もしもし検定」のカリキュラムに導入されています。

稲葉 一人(いなば かずと)氏

中京大学法科大学院教授。東京・大阪地裁判事、法務省検事などを経て、現在本務のロースクールのほか、久留米大学医学部、熊本大学大学院などで教壇に立つ。また、日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定委員会委員・専門委員会委員を務めている。米国に留学し、ADR(裁判外紛争解決)を研究し、メディエーションの教育者・実践者である。JICAを通じた海外の裁判所における調停制度構築のプロジェクトを進め、2012年10月にモンゴル国最高裁から「最高功労勲章」を授与された。

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