電話応対でCS向上コラム

第76回「伝わり難くなった日本語」

放送という世界で、話し言葉で情報を伝えるという仕事を長年してきました。夢中で飛び回っていた若い頃を過ぎると、伝えることの難しさを、ことあるごとに感じるようになりました。アドリブで話す場合も、原稿や台本に従って進行する場合も、思い通りに伝わらないのです。日本語センターのコンセプトも「伝えたと伝わったは違う」でした。電話応対にも相通じるこの言葉を、今改めて考えます。

伝わってこそ言葉

 かつて私が現役のアナウンサーだった頃、仲間内には、「上手なアナウンス」という価値基準はありませんでした。先輩に言われ、後輩に伝えてきたことは「伝わるアナウンス」でした。「伝わってこそ言葉」なのです。言葉は、情報や知識、感情や思いを伝えるためにあります。人類の歴史が始まって以来、先人たちは、話し言葉によって情報を伝え合ってきました。人類だけが持つことができた高度な文明も、言葉があったからこそ生まれたのです。ところがここに来て、未来永劫に不変と思われてきた言葉の持つ力に、疑問符がつきました。話し言葉も書き言葉も、必ずしもスムースには伝わらなくなってきたのです。

なぜ伝わらないのか

 言葉が生み出した高度な文明社会の驕りが、その生みの親である言葉への感謝を忘れ、言葉を蔑ないがしろにしました。その結果がこの事態を招いているのだと思います。そうなった理由を3点挙げます。

 ①通信機器の発達、普及によって、ほとんどの情報がオンラインで結ばれ、音声化、文字化する手間が大幅に減りました。情報伝達の主体はメールなどの電子文字になりました。音声による伝達は極端に減ったのです。

 ②グローバル化の進展は、政治・経済・学術・スポーツ、ビジネスから暮らしまで、そこで飛び交う言葉を変えました。IT関連用語を筆頭にカナ文字が激増し、反比例して日本語の豊かな表意文字は激減しました。

 ③日本の歴史と文化を連綿と繋いできた、美しい日本語に対する敬意と愛情が薄くなりました。その結果、語尾延ばし、語尾上げ、ぶつ切りなどの話し癖があらゆる年代に蔓延し、もはや回復不可能な状態にまできているのです。

デジタル化した話し言葉

 こうして理由を分析したところで何の解決にもならないでしょう。少なくとも50年かけてもたらされたこの状況は、これを修復するのにその倍の100年かかると言います。その間には、また新しい不思議な日本語話し言葉が語られているかも知れません。

 その予測はさておくとして、問題は令和の話し言葉です。IT社会にどっぷり漬かり込んで、言葉までデジタル化しているように思えるのです。アナログ時代の言葉には情がありました。

 言葉は、「分かってほしい」という気持ちを持って伝えた時に伝わります。今のデジタル化した話し言葉では、意味内容を正確に迅速に伝えることをもって良しとしています。昭和・平成の電話応対教育では、これに親切・丁寧がついていました。間違いではありませんが、その先には、「上手できれいな応対」しか見えてこないのです。心ある指導者たちは、今AI時代を見据えて、人間でなければできない応対を探してもがいているでしょう。

 「伝えたことが伝わった」になるための令和の課題は、言葉だけでは伝わらないことがあることを知ることです。そこには、伝えようという確かな意思が必要なのです。

先達の箴言に学ぶ

 「難しいことを易しく書く、易しいことを深く書く、深いことを愉快に書く、愉快なことを真面目に書く」井上ひさしの文章術に書かれたこの箴言が私は大好きです。現実には、易しいことを難しく書いたり言ったりする人が何と多いことでしょう。前述の、カナ文字や専門語を多用する人にも、その傾向が顕著にあります。そのことを本当に分かっている人は、易しい言葉で語れるはずです。深く書いて次に愉快に書く、そして最後に真面目に戻って締めるところが、まさに井上ひさしの真骨頂ですね。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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