第65回「『上から目線』で話していませんか」

「コミュニケーション環境」という言葉を最近よく耳にします。誰でも何でも気兼ねなしに自由にモノが言える環境があるかどうか、ということでしょう。特に耳新しいことではないのですが、その根幹となる言語環境が大きく変わってきたことへの危惧があります。言葉の使い方の変化は、人間関係まで変えてしまいます。今回は、その一つ「上から目線」を例に考えてみましょう。

「〇〇君!」は上から目線

最近、仲間内で話題になった言葉があります。ある大手の企業で、社内での呼びかけに、「〇〇君」という二人称は使わないようにという指導が行われているというのです。古来、「君」とは「人のかみに立って支配する者」(『広辞苑』より)でした。現代では、「①立場の上の人に対する敬称 ②男性が同輩(以下)の相手を親しみの気持ちを込めて呼びかける語(『新明解』より)」とあります。であれば、上司が部下に、先輩が後輩に、「〇〇君」と呼びかけることに問題はなさそうです。しかし前述の企業には、「君」という呼びかけは「上から目線」という判断があるようです。言葉はそれぞれの企業の文化ですから、私がこの判断に否やを言う立場ではありません。ただ、この「上から目線」という言葉の使い方が、世の中全般に変わってきていることが気になるのです。

上司が敬語で話しかけてくる

最近、部下に対する上司の言葉づかいが丁寧になったと感じませんか。身分制度社会の名残が随所にあった昭和の後半時代には、親と子、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下といった「上下関係の隔て」がまだありました。言葉づかいにもそれは如実に表れていました。躾という形での人間教育も行われていた時代です。

平成になった頃から状況は一変しました。パワハラ、セクハラなどが厳しく糾弾される時代になり、大学生を教えている私の仲間が嘆いていました。ある日の教室でのことです。学生たちが教室の後ろにかたまっていて、前のほうの席が空いていました。そこで、「もっと前に詰めるように」と促したのだそうです。すると学生たちは、「先生!それってパワハラですよ」と言って動かなかったというのです。

口を開けばすぐに、「パワハラですよ」とか、「上から目線の言い方はやめてください」と言われると、先生も上司も委縮してしまいます。その結果、親は子に、先生は生徒に、上司は部下に逆に気をつかうようになったのです。厳しく叱ると反抗する、離反する。やる気をなくして辞めてしまう。こうした現象には、変容する家族関係、少子高齢化といった社会状況や経済状況、それと急ピッチで進むIT化の流れが大きく影響していると思います。この傾向はまだまだ進むでしょう。その流れにただ合わせるのではなく、時には「上から目線」で堂々と語ることも必要でしょう。そのためには、筋の通った考え方を持つこと、相手の立場や心情に配慮した言い方の工夫が大事になってきます。

教えるから「上から目線」になる

「上から目線」をネガティブに捉えている例をお話ししましたが、一方では、いつも発言が「上から目線」で周囲の顰蹙(ひんしゅく)をかっている人が、昔も今もいます。

卑近な例で見てみましょう。ある企業で企業内指導者の資格を持つNさんは、自立を目指して難関の上級試験にチャレンジしました。有能なNさんは、それを1回でクリアし、上級指導者の道を歩み始めました。そこまでは良かったのですが、問題はそのあとです。活動を始めたNさんの評判が良くないのです。どちらかというと謙虚で低姿勢だったNさんが、別人のように高圧的で、自信満々、「上から目線」でものを言うようになったというのです。高い業務知識と指導スキルを持っていても、人間として信頼されない人は、指導者としては不適格です。彼女の不幸は、自分の「上から目線」の話し方に、まったく気づいていないことでした。熱心に指導すればするほど嫌われます。人は教えようとするから「上から目線」になるのです。教えるのではなく、ともに学ぶ姿勢こそ大事でしょう。その基本姿勢があれば、指導の際の言葉が変わります。断定形、命令形ではなく、提案形、相談形で指導するのです。「~しなさい」ではなく「~したらどうだろう」となり、「~だ」ではなく「~じゃないかな」となり、「それは違うよ」ではなく「私は違うと思うけど」になります。それだけでも、彼女の「上から目線」はがらりと変わって、「温かい目線」になることでしょう。

岡部 達昭氏

岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員会委員長。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。