経営の矜恃(株式会社滋賀銀行)

いかなる時も“信念”を貫く“覚悟”を持つ

<取材対象者プロフィール>
株式会社滋賀銀行
会長
髙田 紘一

たかた こういち◎1939年滋賀県生まれ。1962年に京都大学 経済学部を卒業後、日本銀行に入行し、那覇支店長、文書局長、考査局長、監事などを歴任。1994年に滋賀銀行の常勤顧問に就任後、副頭取を経て、1997年から11年間頭取を務める。その経営手法が高く評価され、2007年1月、総合ビジネス誌「財界」が選ぶ「平成18年度 経営者賞」を受賞。2008年からは会長(現職)となり、現在に至る。

我流の処世訓「勘・断・心」

 かつて日本銀行で勤務していた頃、役職が上がっていくにつれて部下の数が増えた時に、マネジメントの責任を全うする上で自分なりの哲学を考えるようになりました。そうしてたどり着いた我流の処世訓が「勘(かん)・断(だん)・心(しん)」です。
 「勘」とは、先行きの趨勢(すうせい)(トレンド)を読む先見性のこと。常に時代の一歩先を読み、自分の中で「次はこうなるだろう」という方向感をしっかりと持つことです。「断」とは、決断すること。自らの方向感に基づき、「自分はトップとして何をやるのか」を決める。そして、決断したことを実行していくために一番大切なのが「心」です。事を進めるにあたっては、「絶対にやり抜くんだ!」という強い信念を持ち、皆と“気合い”をそろえることが大切です。特に、行員だけでなくお客様とも同じ志を共有し、共通の認識でビジネスを進めることが極めて重要で、私は今日まで、この「勘・断・心」を胸に経営を行ってきました。

将来「当たり前」になることをどこよりも早く着手する

地球環境に対する先進的な取り組みが評価され、2003年、滋賀銀行は「第1回日本環境経営大賞」(三重県主催)の環境経営パール大賞(最優秀賞)を受賞した。
地球環境に対する先進的な取り組みが評価され、2003年、滋賀銀行は「第1回日本環境経営大賞」(三重県主催)の環境経営パール大賞(最優秀賞)を受賞した。

 1997年から滋賀銀行の頭取を11年間務めましたが、その間、私が「勘」を働かせて、いち早く実行してきたことが4つあります。
 1つめは「環境経営」です。当時は、環境に積極的に取り組んでいる企業はまだほとんどありませんでしたが、私は「これから必ず環境の時代がやってくるはずだ」と感じていました。そこで、どの銀行よりも早く環境配慮型の融資メニューの取り扱いを始め、「クリーンバンクしがぎん」というスローガンのもとに「環境経営」の充実に努めてきました。「環境といえば滋賀銀行」という評価をいただいたことを誇りに思っています。
 2つめは「アジアへの進出」です。以前、滋賀銀行にはニューヨーク支店と香港支店がありました。熟慮の末、私は「将来はアジアが有望だ」と感じたので、思い切ってニューヨーク支店を閉鎖し、10年前、上海に駐在員事務所を開設しました。
 3つめは「リスク管理手法の高度化」です。銀行は、様々なリスクに直面していますので、経験や勘に頼るのではなく、リスク管理を合理的な考え方で確立しなければ危ないと感じていました。そこで、企業格付けをベースにした先進的なリスク管理手法となる「FIRB※」の認定取得に取り組んだのです。若い行員を動かし、全員で力を合わせて命懸けで取り組み、見事第1号を取得できた時は本当にうれしかったですね。
 4つめは「IT戦略」です。1995年、副頭取時代にニューヨークに出張した時、アメリカでは支店がなくても取引ができる“リモートバンキング”が流行しており、「これはすごい時代になる。すぐに日本にもやってくる」と感じました。そこで、組織横断的にマルチメディア委員会を発足させ、これまた他行に先駆けて、インターネット環境を整備しました。
 環境への配慮、アジアへの進出、企業格付け制度、ITの活用、いずれも今の時代では当たり前になっていることばかりですが、時代が到来してから着手し始めても意気があがりません。このように、経営者とは常に「勘」を働かせて、一歩先を読んで、自ら動かなければなりません。

※FIRB(Foundation Internal Ratings-Based approach)/基礎的内部格付手法。高度なリスク管理を行っている金融機関が、内部で推計を行っているデフォルト確率などを用いて所要自己資本を計算する手法。2007年3月に、滋賀銀行をはじめとする地方銀行トップグループ5行がFIRBの承認を受けた。

あらゆる不人気に耐え“信念”を貫き通す

 これら4つのことを実行するためには、「勘」はもちろん「断」、経営者として“信念”を貫く“覚悟”が欠かせませんでした。まだ世の中にない価値観を実行していくわけですから、いずれの時も行内から猛烈な反対がありましたし、行外から冷ややかな視線を浴びせられたことも多々ありました。
 しかし、私には強い“信念”と“夢”がありました。銀行経営を行う上で、私が柱に掲げてきたのは「自己責任原則に基づく独自経営」です。行政の指示を待つまでもなく、自分たちの城は自分たちで守る。そのために、「お金だけでなく、お客様に“知恵”と“親切”もお貸しする」という独自の戦略で特色を打ち出し、いつの日か、それが世間から評価されることに夢を求めて経営を行ってきました。つらいこともたくさんありましたが、「心」を大切に仲間と気合いをそろえ、信念を持って貫き通してきたことが着実に実を結んでいることに喜びを感じています。
 日本銀行で32年、滋賀銀行で18年、50年もの銀行員生活を振り返ると、中央銀行と地方銀行のミッション(使命)は違うものの、共通する部分がありました。それは「不人気に耐える」ということです。日本銀行は、通貨価値を守るために、国民から不評を買うことでも断行しなければなりません。地方銀行は地元企業のホームドクターとして社長様に、時には苦言を呈す必要があります。こうした不人気に耐えるためには、やはり“信念”を貫く“覚悟”が必要であることをあらためて強く実感します。昨今、厳しい経営環境下ではありますが、企業経営者の皆様にも、ぜひ“信念”と“覚悟”を持って、前向きに経営を行っていただければと思います。

髙田氏が愛してやまない沖縄人(うちなんちゅう)の「チム・ククル」

 日本銀行の7代目 那覇支店長として、1983年12月から1985年7月までの1年半、沖縄で勤務した髙田氏。在任中は「行動する支店長」をスローガンに掲げ、多くの離島を抱える沖縄県の島々を次々と訪れた。
 転勤が決まり、沖縄を離れる直前のこと。以前から親交のあった合資会社 沖縄関ヶ原石材(沖縄県那覇市)の社長である緑間 武さんから、「私の故郷である津堅島の石碑に言葉を彫りたいので、何か書いてほしい」と依頼された。そこで髙田氏は、石碑の表には独自の句である「観光を育てる 皆の知恵と肝」(「観光標語」入賞)、裏には沖縄在住の間に学んだ「イチャリバ・チョーデー(=一度会えば皆兄弟)」「チチジムル・カナシジム(=なじみの人が一番大切)」という2つの格言を彫ってほしいとお願いした。
 それから30年弱の月日が過ぎ、昨年、約束どおり言葉が彫られた石碑を初めて目にした髙田氏は、いたく感動したという。出身地も年齢も関係なく、すべての人との出会いを一生大切にする沖縄の人々の「チム(肝)・ククル(心)」は、現在でも、「勘」「断」とともに「心」を重視する髙田氏の経営哲学のベースになっている。

昨年、津堅島の石碑を訪れた時の髙田氏(左は緑間 武さんのご子息で現社長の緑間 禎さん)

↑
PAGE TOP