ITコーディネータが考える「使えるICT」 Vol.19

【「情報共有」の罠(6)】
「意欲」が意思決定に与える影響

井門 良貴氏井門 良貴氏株式会社ウィルコ代表取締役。第1号ITコーディネータとして制度設立に関わる。東京大学法学部卒業。日本IBM在籍後、独立系コンサルタントとして活動。あらゆる業種の大企業から中小企業の経営改革に関わってきた。

第17回と第18回では、「感情」と「論理」の影響で意思決定と情報共有が不調に終わる可能性についての概要を説明しました。今回は人間の精神作用の一つで、損得に影響する「意欲」が、意思決定に与える影響とその解消方法について、ICTやビジネスシーンの事例を交えて述べてみたいと思います。

1.コミュニケーションの目的と意欲

ビジネスの現場におけるコミュニケーションの目的の多くは、意思決定の内容を共有し、正しい分業を実現することです。そして、最終的には「相手を動かす」ことが必須になります。例えば課題解決のためにICTを導入・活用するという経営者の意思決定を社員全員が共有し、一人ひとりが自らの役割を明確化して実行することが大事です。

このようなコミュニケーションの目的を実現するための思考のプロセスは、以下のような三つの段階を踏む必要があります。

第一段階: 感情的要素を除去することによって相手の耳をこちらに向かせる。

第二段階: 筋が通っていて分かりやすいメッセージを投げかける。

第三段階:そのメッセージを実行してもらう。

このうち第一段階と第二段階は「伝える」ことを中心とした活動であり、第三段階が「相手を動かす」ことの核心になります。ただ、伝えられたことを理解することと、それを実行することの間には大きな溝があります。なぜなら、理解するためには脳のエネルギーしか使いませんが、実行するためにはそのほかの身体的エネルギー、身体的コストなど、消費しなければいけないものがたくさんあるからです。それだけ多くの消費をしてでも実行しようと思わせる精神作用が「意欲」なのです。


2.損得に関する「意欲」の共有

意欲とは、簡単に言えば「損得」の気持ちです。「これだけの得があるのだから、少しぐらい辛くてもがんばろう」と思えるかどうか、共有したプランを実行に移すかどうかを決定する気持ちです。会社や組織で、トップが決定したプランを各メンバーに共有し実行させるには、一人ひとり(当事者)の損得、すなわちそれぞれの利害をいかに調整すればよいのかが大きな問題となります。この調整がうまくいけば双方の意欲が十分なレベルに達し、協業が可能になります。しかし、どちらかが不満な場合、協業は難しくなります。これは商談などの交渉の段階で問題になることですが、当然プランニングの段階でも意識しておかなければいけない重要な事項です。この点について以下で簡単に述べてみたいと思います。


3.ゼロサム状況とノンゼロサム状況

複数の人間がいれば人数分の利害が存在し、それらが互いに相反するというのが我々の社会における通常の状態です。誰かが得をすれば必ず誰かが損をするという状況が我々の周りにはたくさん存在し、問題の解決を妨げます。このような状況を「ゼロサム状況」と呼び、状況をそのまま放置すれば合意形成は不可能であることが分かっています。一方が満足をすればするほど、もう一方は不満足な状態になるので不安定な状況は収束しません。

例えば、二人の男性が一人の女性をめぐって争っているという状況を考えましょう。二人のうち彼女と結婚できるのは一人であり、その人は満足をすることになります。しかし、もう一人の男性は愛する女性を失った失意の中で奪った男に対する恨みを募らせていくことになるでしょう。利害対象をその女性本人として考えている限り、片方が満足することはありえないのです。

しかし、少し状況を俯瞰して見ると景色が変わってきます。利害対象を彼女自身ではなく二人の男性の人生の幸福として見た場合、解決の糸口が見えてきます。

彼女を妻とした勝利者が、敗者である男性に自らが経営する会社の経営権を譲ったとしたらどうでしょうか。彼女を得られなかった男性はその喪失感を、新会社の経営という新たな満足で埋めることができる場合もあるのではないでしょうか。

ゼロサム状況 ノンゼロサム状況

4.小さな町には大きな店を、大きな町には小さな店を

世の中の多くの状況は、どちらかが勝てばどちらかが負けるというゼロサム状況ですが、それは同じ陣地を取り合っているからであり、それぞれの陣地をお互いが満足できるような形で交換するようにすれば、お互いにそれなりの満足を共有できることになります。

このようなWin-Winの関係が生まれるような状況を「ノンゼロサム状況」または「プラスサム状況」と呼び、このような状況を作ることが合意形成の上で非常に重要なファクターとなります。

例えば、全米最大級の某小売店チェーンは、田舎の小さな町に巨大な店を次々に作り、新規参入を妨げる戦略を実践して成功してきました。大都市ではいくつもの店が共存する可能性があるので、大きなコストをかけて巨大な店をつくっても投資回収できない可能性があるからです。小さな町は消費者が少ないので、大きな店が二つ生き残ることは不可能であり、既に存在する店の規模が十分に大きいと、後から参入することは難しいのです。しかし、大きな町にはさまざまな需要があるので、コンビニエンスストアのように小さな店を複数作ったほうが確実に稼げます。

このように、お互いに満足できる陣地の交換を行うためには、両者の持っている陣地が自分にはあまり価値がないが、相手にとっては価値があるという条件が成立している必要があります。


5.最初に食べたリンゴと その次に食べるリンゴの価値

経済学の基本原則に「限界効用逓減の法則」※1があり、それがこの問題解決の最大のヒントになります。この法則は、例えば空腹時に最初に食べたリンゴと次に食べたリンゴの価値を比較すると、最初に食べたリンゴの価値が一番高く、次のリンゴ、そのまた次のリンゴとだんだん一個あたりの価値が下がっていくというものです。今ここに、リンゴを食べ飽きている人と、ミカンを食べ飽きている人がいるとしたら、お互いにリンゴとミカンを交換することによってお互いに満足度を極大化することが可能になります。そしてそのような交換を「パレート交換」と呼び、これによってお互いの満足がこれ以上大きくならない状態を「パレート最適」と言います。


6.パレート最適の実現とICT

パレート最適が実現されるためには、お互いが何に対してどれだけの価値を感じているかということが明確であればあるほど良いのは言うまでもありません。しかし、相手の状況についての情報が十分にある場合のほうがはるかに少ないので、お互いに相手の腹を探り合い、できるだけ自分の効用を最大化するためのネゴシエーションを戦わせるというのが今までのビジネスの常道でした。しかし、もし相手の満足の度合いを表現する効用関数の値が明確に分かるということになれば、パレート最適を求めて最適の取引相手を発見してビジネスをするということが可能になるでしょう。これが実現すれば、合意形成の難しい相手と長々とした無駄な交渉に時間をかけるという経営資源の無駄づかいもなくなるはずです。

そのような世界を実現してくれるものがまさにビッグデータ※2やそれを活用したAI(人工知能)であり、引き合いや営業交渉にこれらの技術が当たり前のように応用される時代がもうすぐそこまで来ているのです。


  1. ※1 限界効用逓減の法則: 財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分(限界消費分)から得られる効用は次第に小さくなる、とする考え方。
  2. ※2 ビッグデータ(Big data):ICTの進展により生成・収集・蓄積などが可能になった多種多量のデータのこと。
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