コミュニケーション力を鍛える ~アナウンサーのノウハウから~

第58回「心臓で考える」

今回は一風変わったタイトルです。「心臓で考える」とは一体何だ?と思われるでしょう。この言葉は、将棋の永世7冠、羽生 善治さんの著書に出てくる言葉で、羽生さんは「私はこの心臓(ハ―ト)で考えるという概念がとても好きだ」と書かれています。AIの時代の電話応対者には、今、さらに「考える力」が求められています。私たちも心臓で考えることができないでしょうか。

心臓は特別な臓器

羽生さんは、将棋の世界での指し手を考える場合のことをおっしゃっているのでしょう。心臓で考えるのは、脳で考えるのとは違って、余計な邪念やエゴがなくなり、無に近くなる。その結果、物事の正しい決断ができるとおっしゃいます。確かに脳で考えた時には、さまざまな情報や疑問、配慮などが去来し、集中できないことが多いでしょう。その点では、心臓はクリーンです。心臓で聴き、心臓で考えることができれば、これは素晴らしい能力となるはずです。でも、そもそも心臓にはそんな機能はない。そんな馬鹿げた発想はナンセンスだ、と言われるでしょうね。

心臓のことは分かっていない

昔の人は、「胸に手を置いてよく考えなさい!」「胸に訊いてごらん」「胸騒ぎがする」などという言い方をしました。日本人に、「“心”は何処にありますか?」と訊けば、おそらくほとんどの人が胸を指すでしょう。ここで言う胸とは、すなわち心臓なのです。

確かに「心臓」は、ほかの臓器とは次元の違う能力を備えているように思います。ほかの臓器は癌に侵されることがありますが、心臓は癌にはなりません。命の根源として、心臓は万物創造の神によって守られているのかもしれません。単純な素人考えでは、そこにはまだ、知られざる潜在的な優れた能力がいっぱいあるように思えるのです。

心臓移植を受けますと、提供者の性格や特性が、移植を受けた人に表れることがしばしばあるのだそうです。極端な場合には別人格となって、提供者の過去の記憶がよみがえったりすることもあると聞きました。肝臓や腎臓の移植では、そのようなことは決して起こりません。こうした現象がなぜ起こるのか、現代の生命科学ではまだ解明されていないのです。いつの日にかそれが解明されると、心臓で聴き、心臓で考えることができるようになるかもしれません。

心臓で考えなさい!

だからと言って、現段階では、電話応対の部下指導などで「もっと心臓で考えなさい!」と言われても、部下は戸惑うでしょうね。しかし、集中して聴きなさいと言われるよりも分かる気がしませんか。言葉を変えれば「無心に聴く」という表現が近いかもしれません。電話応対者の脳には、たくさんの情報が詰まっています。業務知識があります。過去の応対の成功例、失敗例があります。経験知があります。そして、身についたマニュアルがあります。応対者の脳は、それらがびっしり詰まった坩るつぼ堝のようなものです。そこに新しい一本の電話が入って来た時、応対者の脳は瞬時に仕分けをして答えます。忙しい職場であるほど手際の良さが求められ、応答率も気になります。その結果、脳はじっくり聴かずに、過去の経験に頼り、マニュアル通りの応対になってしまうのです。この時、スーパー臓器「心臓」には余裕があります。心臓で聴き、心臓で考えれば、羽生さんの言われる通り、余計な雑念やエゴはなくなり、正しい判断に基づいた応対ができるのではないでしょうか。

どうやって心臓に考えさせるか

電話応対は、これまで半世紀にわたる、その時代時代の指導者たちの努力で、全国の職場で有効に機能してきました。しかしIT化、AI化が進む中で、その応対力も考え直さなければならない時期に来ていると私は思います。スキルが定着し過ぎた反面、心が居場所をなくし、さまよっているのです。

これまでの電話応対のスキルを一旦白紙に戻します。上手な応対、きれいな応対と言う意識も捨てる。応対マニュアルも忘れる。そして、電話応対の原点に帰って、お客さまが求めていることをひたすら聴くのです。その役目は、過去のしがらみのない「心臓」が担います。そして考えるのです。もちろん、今は突拍子のない提案かも知れません。しかし、心臓には、AIには手が出せない不思議な力があると考えるのも、夢につながりませんか。

岡部 達昭氏

岡部 達昭氏
日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員会委員長。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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