電話応対でCS向上コラム

第35回「雑談上手になろう!」②~無駄なものは何もない~

前回の「雑談上手になろう!」の第1回は、主として雑談の質と量について書きましたが、思いがけず多数の好評を頂きました。コミュニケーション力を高めるのに、マイナスイメージの強い雑談力を磨くという発想に共感して頂けたのでしょう。今回は、無駄と思われがちな雑談の効用を、別の視点から考えます。

意味のある無駄な動き

人間の行動や動作には、無意識のうちに必ず無駄な動きが入る。その無駄と思われる動きが力を生み、適切な表現や伝達に結びついている。認知心理学ではそれを「マイクロスリップ」と言うのだそうです。

演出家の平田 オリザさんは、「すぐれた俳優は、この無駄な動き、マイクロスリップを、演技の中に適切に入れている。『あの俳優はうまい、あの俳優はへただ』と感じる要素の一つに、この無駄な動きの度合い(量とタイミング)がある」と書いています。この無駄な動きは、多過ぎても少な過ぎてもいけないのです。

静止した状態からジャンプをするときに、私たちは必ず一旦腰を沈めてタメを作ります。このタメが跳び上がる力を生み、リズムを作ります。

朗読での間合いやタメも同じです。スピーチや対話をするときにも、私たちはしばしば一瞬沈黙したり、言い淀んだり、「え―と」「あのー」などの言葉を挟みます。次の言葉を考えたり聞き手の反応を探っているのでしょうが、これもマイクロスリップの一つで大事な役目を担っているのです。

電話応対における無駄

1万人を越える全国の参加者の中から勝ち上がってくる、電話応対コンクール全国大会の応対を聴いていますと、皆さんまことに整然として心地よい見事な応対です。半年間の血が滲むような努力の結実の完成品です。しかしどこか違うのです。不自然なのです。

どこかに無駄が必要なのではないかと考えます。変わり始めているとは言っても、まだ多くの方が、問題が出るとすぐにスクリプトを書き始めます。その書き言葉で推敲し完成させ、それを覚えます。しかも3分という時間制限。そこにはマイクロスリップの入りこむ余地は全くないのです。

日常の電話応対でも、マニュアル丸暗記の応対ではマイクロスリップは生かせません。練習をすればするほど、慣れれば慣れるほど、つまりベテランほどそのリスクを背負うことになるのです。このことは、今後の電話応対教育に残された大きな課題でしょう。

雑草という草はない

雑談、雑用、雑音、雑菌、雑学、雑草と、「雑」のつく言葉はたくさんあります。マイナーなようでいて、考えればいずれにも深い意味があります。

話は昭和時代のことです。当時の入江侍従長の回想録にこんな記述がありました。猛暑を避けて那須の御用邸で静養されていた昭和天皇が、急に皇居に戻られることになりました。ひと夏を経て、お住まいの吹上御所周辺は雑草茫々です。侍従長は急きょ職員を動員して、御所周辺の雑草をきれいに刈り取り、何とかお戻りになるまでに間に合いました。戻られた陛下に入江侍従長は呼ばれました。「きれいにしてくれてありがとう」と褒めて下さるのかと思って出仕した入江さんに陛下は「なぜ刈ったのか?」とお尋ねになりました。「雑草が伸びて見苦しうございましたので」と答えた入江さんに陛下は、「この世の中に雑草などというものはない。1本1本の草にはすべて名前がある。そしてみな懸命に生きている。その命を雑草として粗末に切り捨ててはならない」。生物学者であった昭和天皇の温かいおことばに、侍従長は深く恥入るばかりだった…。概要はこのような話でした。

雑草には雑草の役目があります。世の中はすべて「雑」に支えられて動いているのです。

岡部 達昭氏

日本電信電話ユーザ協会電話応対技能検定 専門委員会委員長。
NHKアナウンサー、(財)NHK放送研修センター理事、日本語センター長を経て現在は企業、自治体の研修講演などを担当する。「心をつかむコミュニケーション」を基本に、言葉と非言語表現力の研究を行っている。

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